2021-04-24 あま市下萱津の藤を見る①
🗻
"「下萱津のフジ」24日公開 あまで3年ぶり"
という中日新聞の記事を読み、行ってきました。
《目次》
そもそも下萱津ってどこ?
・海部郡美和町(あまぐんみわちょう)
・海部郡七宝町( 〃 しっぽうちょう)
・海部郡甚目寺町( 〃 じもくじちょう)
が合併して誕生した新しい市です。
「萱津(かやづ/かやつ)」は旧甚目寺町の一部です。
鎌倉時代、萱津は鎌倉街道の宿場町として栄えていました。
歴史と由緒ある地区のため、様々な説話が今日まで残っています。
今回は、樹齢約350年とされる下萱津のフジの花を求めて散策しました。
スタート : 名鉄名古屋本線 須ケ口駅 - 清須市
人が多くて写真撮れませんでした!
そもそも駅名標や駅構内って、撮るのにちょっと勇気要りますよね…
萱津地区を代表する名所・萱津神社(かやつじんじゃ)へは
「甚目寺駅」より「須ケ口駅」の方がちょっと近いです。
法界門橋 再び…
須ケ口駅から西南西の方角へ歩いていくと
「法界門橋(ほうかいもんはし)」があります。
以前も出てきましたね!!
(参照 : 2021-03-27 清須あまで桜を見る③[完] - #23画録 )
今回歩いた場所、↑で散策した場所と若干ニアミスしています。
ところで、この橋 名前がかっこいいですよね。
名の由来を調べました。
法界門橋
(略)
橋名は往古甚目寺の法界門が建っていた故というのが通説である。
しかしながら一説は、道路と方向を違えているので「方違い(ほうたがい)橋」と称したのが、いつの間にか法界橋となり、更に門までつけて法界門橋となったという。
今は無い南門と甚目寺南大門までの距離と比較して、東門から橋の位置までの距離は三倍以上ある点、その間に萱津正法寺四世徳禅重呑和尚が隠居所として造った薬師堂の在る点などと考え合せ、或は後説の方が正しいのではなかろうか。
〔甚目寺町史 P10より引用〕
この話、面白くないですか!?
興味深すぎてしばらく頭から離れなくなりました。
前者の説は聞いた事ありましたが
「門があったにしては甚目寺観音までちょっと遠くないか?」
と思っていたんですよね。
あま市側の道路は、橋を渡った先も道がほぼまっすぐ続いている
(そして甚目寺観音の東門に達する)ので
「方違い」というのはしっくり来ませんが、
清須市側の道路は橋に繋がるために
すごい勢いでぐにゃりと曲がっているんですよ!!
結構坂になってるし。
「方違い(ほうたがい)」とか「方変え(ほうかえ)」とかが
近くにある甚目寺観音に引っ張られて「法界」になり、
更に「ほうかいはし」のままでは「崩壊橋」みたいだし
「門」付けてかっこよくしたのかな、という想像が膨らみました。
(※あくまで想像です。)
楽しすぎてフジへの道のりが遠のいていきますね。
先に進みましょう。
法界門堰 跡地
道路脇に看板を発見。
この付近に、つい最近まで堰が存在していたという解説が載っていました。
なお、看板周辺の歩道が狭めなので見に行く際は車に注意が必要です。
堰のあった辺りより上流に向かって写したのがこちら。
関係ないけどよく見たら真ん中に鳥がとまっておる。
そう言えば、春日(はるひ)の五条川沿いを歩いた時にも立派な堰を見かけました。
法界門堰もこんな感じだったのでしょうか。
阿波手森(あわでのもり)の碑
萱津神社の北西にあります。
「阿波手の杜(あわでのもり)」は萱津神社の鎮座する森を指すため
こちらの碑は案内板のような役割でしょうか。
碑の周囲は民家が建ち並んでいます。
当社が鎮座する鎮守の森は、昔より「阿波手の杜(あわでのもり)」と呼ばれ歌枕として多くの詩歌が読まれた所であります。
名称の由緒は、古伝によると日本武尊(やまとたけるのみこと)が伊吹山で戦傷され当地にたどり着いたが、傷は重く再び立つ事ができなくなるのではと直感され、久米の八腹(くめのやばら:食事の世話をする者)を妻である宮簀姫(みやずひめ)のものに遣わし後事を託された。
姫は話を聞き、取るものもとりあえず当地に向かったが日本武尊は伊勢に向かった後だった。姫は人目も憚らず悲嘆され、その悲しみの姿から、だれ云うとなく、この森を「不遇(あわで)の森」という様になったという。
〔萱津神社HPより引用 漬物祖神萱津神社 - 由緒〕
萱津神社(かやつじんじゃ) - あま市
先ほどからフライングでちょいちょい話題が出ていましたが
ここに来て登場です。
さわやかで風情がありますね。
鳥居をくぐり階段を下りるとひんやり涼しい境内があります。
こちらには国内唯一の「漬物の神」が祀られています。
(あま市観光協会HPより)
境内でバシバシ写真を撮っていいものなのか悩みましたので
ほんの一部のみ境内を紹介させて頂きます。
見どころ盛り沢山のお社ですのでお散歩の際にはぜひどうぞ。
《狛犬と神社由緒》
《香の物殿》
毎年8月21日に「香乃物祭(漬物祭)」が行われます。
当日の「漬込神事」には一般参拝者も参加出来ます!
(※コロナ禍の現在は要確認。)
香の物殿の甕の中に、↓から選んだ野菜とお塩を運び入れてお参りします。
祭りの2年後、出来上がったお漬物は熱田神宮へ奉納されるそうです。
珍しい祭りだと思いますので、ご興味のある方は熱中症対策を万全にした上でぜひ。
楽しいです。
《連理の榊(れんりのさかき) 奉安殿》
萱津神社のご神木である「連理の榊」は、枯れてしまってからも
↑の写真の建物(奉安殿)にて大切にお祀りされています。
写真の奉安殿の中を拡大してよく見ると、
樹の幹のシルエットがぎりぎり確認出来るかもしれません…
現地ではバッチリ拝観できますよ。
なお、どのような由緒があるのか自分なりにまとめました。
ざっくりです。
~阿波手の杜のあらすじ~
近江出張から帰ってきた日本武尊に逢うため、
連絡のあった森に急いで向かったものの、
間に合わず逢う事が出来なかった妻の宮簀姫。
姫は大層悲しみました。
その姿からこの森を「不遇(あわで)の森」と言うようになったそうな…
~続編があります~
尊は伊勢に向かうにあたり比女に逢うことが叶わず非常に残念がり、後の世に生れ来る者に再びこの悲しみなき様にと祈願を込め雌雄二本の榊をお手植され、後にこの二本の榊は地上二メートル程の所で連理(れんり)となりました。これが当社のご神木「連理の榊」です。
〔萱津神社HPより引用 漬物祖神萱津神社 - 献榊祭〕
つまり、愛する奥さんに逢えず寂しい思いをした日本武尊は、
後世の人々がそのような悲しい思いをしないよう願いを込め
雌雄の榊をお手植えになったという事ですね。
更にはその二本の榊が連理(別々の枝が癒着結合して一緒になる事。縁結びや夫婦円満の象徴)となったという事で更にめでたい。
歴史香るご神木、ご利益ありそうすぎますね。
《その他境内の風景》
かやつ?かやづ?
■ 萱津神社HPのURLの表記が「KAYATSU」でしたので
神社の読みは「かやつじんじゃ」とさせて頂きました。
■ あま市の住所である 上萱津、中萱津、下萱津 は
「かみかやづ」「なかかやづ」「しもかやづ」と読みます。
旧甚目寺町時代は、
「かみかやつ」「なかかやつ」「しもかやつ」の読みが正式なものでしたが、
あま市誕生を契機に変更されたようです。
〔郵便局HPより〕
本当は、当日午前十時より 萱津神社→下萱津のフジまで
現地ガイドさんと一緒に歩くという散策ツアーに参加したかったのですが
予定が合わなかったため一人で散策しました。
心底ガイドさんの詳しいお話を聞きたかった……
でも素人なりに色々楽しめましたので次回をお楽しみに。
藤は次回で出ます。またこのパターン。
↓ 5/5 続き書きました。