#23画録

愛知県 旅の記録

2021-05-11② 説明急募!バラを愛でフォリーに昇る(春日井市)

<<前回

《目次》

 

落合公園 - 春日井市

バラで楽しんだ市民四季の森から南へ行くと春日井市に入ります。

「落合公園」は春日井市民憩いの場で、これまためっちゃ広い公園です。
夏には花火大会も開催されている。

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駐車場付近の看板

字・・・ちっちゃ・・・
ブロガー泣かせの看板である。

今回はこの落合公園を探索します!

噴水

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立派で綺麗な噴水広場。
つい「この市…お金持ってんな…」という感想になってしまう。

落合池

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綺麗な池が広がっている

フォリー水の塔 に昇る

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このかっこいい建物が「フォリー水の塔」です。
落合公園のシンボル的存在。

こちら7階建てで、営業時間内なら自由に昇ることができます。

早速行ってみましょう。

入口

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「 を中に入れることを  します」

よく見たら「を中に入れることを禁止します。」だった。

確かにワンちゃん連れの方多いけど、「犬」名指しかあ~
そう思いつつも一旦スルーしましたが、これは序の口でした。

1階

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ほ????

見落としただけかもしれませんが
このモニュメント?については特に説明が見当たらず困惑する。
ちょっと怖い。

上の階に昇る手段は階段もエレベーターもあり親切設計。
ただし、ところどころにツバメの巣がありツバメ爆撃には注意。

2階

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池に向かって巨大水鉄砲が撃てる!?(歓喜)
 ↓
故障中だーー!!(しょんぼり)

アクアガン

スイッチを押してごらん。
水が池の方へ飛び出すぞ!
みんな、池の上の標的をよく狙うんだよ!
誰が一番うまく当てることができるかな?

〔と胴の部分に載っています〕

2ヶ月前の訪問だったので、もしかしたらもう修復済みかもしれません。 

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この水車で水を汲み上げているようです…?

「ようです」というのは、この塔かなり楽しいんですが
施設の仕組みの解説がどこにも書いてないんですよ・・・

公園のHPにも市のHPにも載ってない。
見落としているだけだったらすみません。(2回目)

池の水をどうやって汲み上げてるのか、
そもそも池の水を汲み上げて何してるのかとか全くの謎。

お願いだからちょっとでもいいので教えてほしい。

3階

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いえ~~~~い!!!!!!(大歓喜

こっちは故障していませんでした。
つい 大はしゃぎしてしまう。

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謎ポエムが謎モニュメントに添えられている。

1階にあったのはこの人形が傷んだものだったらしい。
謎なことには変わりないので何の解決にもなっていない。

4階

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手前にも似た形の台が5つ並んでいて、
そちらを踏むと写真に写っている筒から水が出ます。
どの筒から水が出てくるかは踏んでのお楽しみである。

はしゃいじゃって踏み台側を写すのを忘れる程度には楽しい。

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モニュメント&ポエム。
どうやら各階にあるらしい。

5階

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5階は他に写真を撮っておらず、アトラクションはなかったと思います。
おしゃれな階段を上っていきます。

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6階

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きれい♡

タダで見れる双眼鏡が設置されています。
ただしこれを使うと、途中で塔の太い柱に遮られて何も見えない角度がある。

柱の妨害なく景色を見たい方は7階の双眼鏡をご利用ください。
そちらもタダです。

※各階恒例のモニュメントとポエムは割愛させて頂きます。

7階

ついに最上階へ到達。

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遠くに小牧山城が見える。

思えば岩倉でも一宮でも春日井でも小牧山を眺めてるなあ。
遠くからでも名駅の次ぐらいに見つけやすいんですよね。

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右端に名駅のビルが見える

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タダで見れる双眼鏡がこちら。

事前に施設を調べた際には「タダ?ふ~ん」ぐらいの印象でしたが、
無料で遠くの景色が見れるのって何気に嬉しい。
かなりキャッキャしながら眺めました。

ちょっとした楽しさを提供してくれるフォリー水の塔、おすすめです。

《総括》
ポエムより施設の仕組みの解説が欲しいと思った。

出口

エレベーターで一気に1階へ。

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綺麗でかっこいい。

2階から眺めた時、「水車の下に通路があるな~」と思ったので
そちらから外へ出ようと向かう。

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ビッタビタ

諦めました。(めっちゃ水降ってきてた)

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フォリーの根元。きれい

そもそもなんですけど、"フォリー"って何でしょうね?

施設内に解説あるかな?と思ったんですけどやはり見当たらない。

フォリーとは,foolishが語源の“ばかばかしいほど役にたたないもの”という意味で,
本来シェルターであるべき建築物とは異なり,
装飾の意味のみを持つ造形物をいいます.

特に,18世紀の英国式庭園では,人工的に廃墟を造ることが流行しました.

水戸市にある七ツ洞公園HPより〕

春日井関連のHPには何も解説がなかったので
いきなり水戸市さんを登場させてすみません。
水戸市の七ツ洞公園の存在を頭の片隅に覚えておきます。

春日井のフォリー、
「装飾の意味のみを持つ造形物」と言うには
当て嵌まらないほど楽しく遊べる建物なんですが
春日井がフォリーと言い張ればフォリーなんでしょう。

何もかもが分からなくなってきた。

その他園内の風景

桜模様の彫られた球体

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夜になると光るらしい。

カナディアンハウス

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事前に公園を調べた際、地図に「カナディアンハウス」と載っていて
「何だろうこれ?(※やはりどこにも説明はない)」と思っていましたが
シンプルに休憩所でした。

自販機とベンチとお手洗いがあります。

なお、春日井の姉妹都市はカナダのケローナ市です。

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主にハトらしい

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遠くから見ると結構絵になりますね。

人生

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謎モニュメント多い。
この色と言い形状と言い、変なあだ名で呼ばれていないか心配になる。

リードって便利だな

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こういう看板があちらこちらに立ててある。
春日井はリードなしのワンちゃんと何かトラブルがあったんだろうか。

健康物語

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突然の足ツボ。

湧き水

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綺麗。
夏場とかチャプチャプするのにもってこいですね。

管理棟

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フォリーの上からも見えたこの建物が管理棟。

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入口。またワンちゃん

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内部。さすがサボテンのまち春日井

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管理棟はひっそりしていて、
市内の観光案内っぽいでかいパネル ↑ が飾ってある。

「落合公園とハニワ道」というタイトル、少しどうかしちゃっている。

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市内に別のフォリーがあるんだ!?
フォリーは春日井のお気に入りのようです。

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首がギュインッッ!!てなっててジワジワくる。

帰路

ツッコミどころは多少ありましたが、
でかいスケールの綺麗な公園でした。

小牧の市民四季の森もそうでしたが、
こんなに広い公園を綺麗に保つのって結構お金かかるんじゃないでしょうか?

タダでこんなに遊べる広い公園が小牧にも春日井にもあって、
この二市のポテンシャルを垣間見た気分です。

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フォリーと夕暮れ

遠くからフォリーを眺めてるときに、
水鉄砲でキャッキャする声がフォリーから聞こえてきて和みました。

分かるよ…楽しいよね…
 

なお、春日井のマンホールは次回出る予定です。
次の更新をお楽しみに。

2021-05-11① これが無料!?バラを愛でフォリーに昇る(小牧市/春日井市)

昨年の5月頃、内津峠の辺に行ったんですが
高速からすごく綺麗なバラ園が見えたんですよ。

ずっと気になっていたので今年行ってきました。

※うっかり7月の投稿となりましたが、内容は5月の記録です。
 

《目次》

 

市民四季の森 - 小牧市

小牧市の東部にある。
山のふもとにあるめっちゃ広い公園。

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この公園、とにかく広い。
そして木がきれい。
 

バラを見る

園内の木々のトンネルを抜けた先にバラ園。
品種名がありすぎて覚えられませんでしたので色ごとに分類して載せます。

ピンク

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ピンクと白

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濃いピンク

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何とも言えん良い色

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何か…微妙なニュアンスの色もあって分類しきれてなくてすみません…
「何とも言えん良い色」って何だよ
バラってとてつもなくたくさん品種があることを知りました。

《結論》
次は出来れば品種名も一緒に撮るといいなと思った。
 

その他園内の風景

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ペチュニアとリビングストンデージー

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鯉のぼり

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園内から中央道の看板が見える

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ポニー&ヤギ

バラ園では暑い日差しの下で、
おじちゃんやお兄さん達がバラの手入れをしていらっしゃいました。
皆さんのおかげでたっぷり花を楽しむ事ができました。

こんなに見どころのある公園がタダで楽しめるなんて
小牧市どうなっちゃってるの??

こちらの公園、あじさいも素敵だと聞いているので
来年以降見に行けたらいいなと考えております。
 

本日のマンホール

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小牧市のマンホールです。
市民四季の森の園内にて撮影。

周りの花は市の花の「ツツジ」でしょうか。
「KOMAKI」の字が逆さまな所や、
よく見ると電車が描かれているのもちょっと面白い。

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こちらは2013年に田縣神社周辺で撮影したもの。
周りの花の柄がおそろいでかわいい。
 

バラを楽しんだ後、小牧のお隣・春日井市の公園にも遊びに行きました。
後編でまとめる予定ですのでお楽しみに。
 

>>続き

2021-07-11② 安城市東海道沿いの寺社を巡る

<<前回

~あらすじ~

ハスのある本證寺安城市の南端にあったが、
ランチにそうめんを食べテンションが上がってしまい
安城市の北端にある寺社に行きたくなってしまう・・・

行ってきました。
 

《目次》

 

永安寺 雲竜の松

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低い位置でマツの太い幹が三方へぐわっと広がっていて、非常に迫力があります!
全景を写真に納めるのが苦労するぐらい立派なマツである。

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門前の看板

この辺りの地域、江戸時代刈谷藩の領地だったんですねえ。

「村の庄屋・柴田助太夫氏の犠牲によって、
人々の暮らしが幕末まで助けられた」というエピソードが載っています。

太夫氏の旧宅跡にあるのがこの永安寺です。

その助太夫氏の時代から在るマツだと思うと有り難さが更に増しますね。

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お邪魔します

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奥が本堂

無人のようでした。
お寺自体はこぢんまりとしています。

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本堂前から振り返って撮影

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下から撮影 枝が美しい

なお、本堂に向かう途中でクモの巣に引っかかったりしました。

マイナースポットなのかもしれませんが、
樹の迫力と、手入れの行き届いた枝振りは一見の価値があると思います。
 

明治川神社

雲竜の松のある永安寺のすぐ近くに
立派な神社があり、そちらにもお邪魔しました。

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綺麗で厳かな雰囲気。
池の水の音も聞こえてくる。

水に縁の深い三柱の神を中心に、明治用水開削の功労者四人をまつっています。
明治川神社|安城市観光協会 より〕

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こちらは「蓑笠を着けて田植えをしている姿」をイメージしたモニュメント。
言われてみればそう見えてきて少し感動。
このモニュメントから池の水が湧いています。

明治用水について

都築弥厚は、明和2年(1765)和泉村(現在の安城市和泉町)に生まれました。

当時、安城市域の多くでは、水が乏しく水田開発が困難でした。
そこで弥厚は、矢作川の上流から水を引き、ここに灌漑、開墾することを思い立ちます。
彼は石川喜平とともに水路の測量を行い、具体的な用水計画を立案します。

しかし、農民や領主たちからの激しい反対にあい、計画を実現できぬまま亡くなってしまいます。

弥厚の計画は、明治時代になり、岡本兵松と伊豫田与八郎の2人が引き継ぎます。
そして、明治13年(1880)には現在の明治用水ができ、弥厚の夢がようやく実を結ぶのです。

その後安城は、日本デンマークと呼ばれる豊かな農業地域へと、変貌を遂げていくことになります。

安城市/安城歴史の散歩道 より引用〕

その功労者を神としてお祀りしているのが明治川神社です。

前編、本證寺の周りでとてつもなく広い田園風景を見て
「さすが農業の得意な安城」と思いましたが、
それも明治用水なくして有り得なかった風景なのではないでしょうか。

明治用水や水の大切さを学べるスポットは市内に他にも多数あるので
追々訪問していきたいところです。
 

北城屋(きたしろや)

北城屋さんは安城を代表する和菓子専門店です!
安城みやげはここに来れば困らない充実のラインナップのお店。

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平謝りされとる

駐車場からお店の方見たらこんな感じの福助さんが9人いた。
こちらの方が何だか居たたまれなくなる。

色々おみやげに買って帰りました。

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こちらは安城名物のおっぱいまんじゅう「べっぴんじゃん」です。

食レポ

  • クリーミーでもちもちのプリンのような中身が、ふわふわの皮に包まれています
  • まんじゅうというより大福って感じでしょうか
  • 冷蔵庫で冷やして食べるのでひんやりしてておいしい
  • あんこは入っておりません
  • 感触はふにふにで、手で摘んで食べると楽しい

「商品開発の過程でうっかり形状がおっぱいに似ちゃったのかな?」と思いきや、
始めから胸をテーマとしている生菓子です。

おっぱいまんじゅう べっぴんじゃん

三河地方の方言で美しい女性のことを「べっぴんじゃん」と言います。
心の美しい女性が「べっぴんじゃん」との思いから、心の上にある胸を形にしました。

御菓子司 北城屋 HP より引用〕

 

安城一番(あんことお餅入りのもなか)」も北城屋さんのメジャーどころですが、
他にもたくさん魅力的な商品が並んでいます。

安城っておいしいおみやげまで充実していて侮れませんね。
 

本日のマンホール

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安城市のマンホールです!
「本日の」とか言ってますが例の如く撮影は2014年と2015年です。

左(←):デンパーク内で撮影。

右(→):新美南吉作「花のき村と盗人たち」の一コマ。
作中の「花のき村」は安城市花ノ木町が舞台とされています。
「花のき村の人々がみな心の善い人々」と作中にあるのも良い。

安城のマンホール、他にも柄があり
今回の旅の途中でも見かけたのですが撮影できず。

またの機会にコレクションできたらいいなと思っております。
 

それでは次回の更新をお楽しみに。

2021-07-11① 安城市本證寺のハスを見る

安城市にある「本證寺」は、
戦国時代に三河一向一揆の中心となった"三河三か寺"のうちの一つ。

三河一向一揆

家康公の家臣が寺内の兵糧米を徴収したことが発端となり、一向宗寺院が不入権の侵害を訴え、家康公に反発したために起こった。
家康公の主従の関係と信仰の間で揺れ動く家臣たちが、約半年にわたり敵・味方に分かれ争う凄まじい戦いであったが、三河統一の鍵となった。

岡崎市公式観光サイトより引用〕

この歴史ある本證寺のお堀、
かつてはハスの花が綺麗に咲き誇っていましたが、
1994年を最後に消えてしまいました。

しかし、そのハスの花を近年になって地元の有志の方々が復活させています。
今回はそのハスを見てきました。
 

《目次》

 

本證寺(ほんしょうじ)

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寺前のバス停付近にある看板

到着

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看板に載っている写真のようには撮れませんでした!!

なお、この日境内では「きょうえんいち」というマルシェが開催中。
検温や手の消毒を済ませて境内へ。

本堂

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本堂の中にもハスの花が持ち込まれていて神秘的。

コーヒータイム

マルシェ名の「きょうえんいち」は、
本證寺の開祖の「慶円(きょうえん)」さんから来ているようです。
「饗宴」や「共演」も連想させるいいネーミングですね。

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あまりにも暑かったので「ハンチ珈琲焙煎所」さんのアイスコーヒーを飲みながら
境内のハスを眺める。

注文した直後にその場で豆を挽いて淹れてくれるという贅沢さが最高。
西尾市の珈琲屋さんのようです。
(本證寺安城市ですが、西尾市に近いエリアにある)

裏手のハス

途中すれ違ったおばちゃん達が
「裏手のハスが一番咲いてたね」と言っていたので
そちらも見に行く。

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道中の景色。見切れている左の方にも田んぼが一面に広がっている。
広い。さすが農業が得意な安城

こんもりしてるのは野寺八幡社という神社の鎮守の森のようです。

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お堀の辺より花が多め。
お寺の脇から裏の道をぐるっと歩いていく必要があるため
穴場みたいになっていました。

もし今後見に行かれる方はこちらのハスもお見逃しなく。

境内の案内

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本證寺は「城郭寺院」と呼ばれる構造をしていて(安城市HPより)、
お堀や建物にお城のようなかっこよさがあります。

地図を見ると外堀もほんのちょっと残ってるみたいですね。
また訪れた際には外堀の痕跡を探してみるのも楽しそうだと思いました。

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裏門周辺の内堀

丈山の里 いずみ庵

ランチタイム!!

黒豚と夏野菜のごまだれそうめん
(メニュー名がうろ覚えなんですけどこんな感じだった気がする)

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安城市の和泉地区はそうめんの名産地です。
江戸時代より伝わる伝統技法「半生もどし」を用いています。

いずみ庵さんは安城名物の和泉そうめんやうどんが楽しめるお食事処。
メニューが充実していてそばまである。抜かりない。

【和泉そうめんの技法】
夏、暑い日差しで乾燥させ、
夕方頃から吹く三河湾の湿った南東の風で「半生」の状態に戻す。

※他の産地では冬場に吹く乾いた風で乾燥させる技法が多い。

〔参考→和泉そうめん(安城和泉手延べめん)の歴史

和泉手延長そうめんを作る時期は「夏」というのがポイントのようです。
安城市へお出かけの際には名物のそうめんをぜひどうぞ。

この日、帰ったら旅ゴメがちょうど安城市の回をやっていて
和泉そうめんの製麺所である「間杉手延製麺所」さんが出ていました。

HPの解説がとても分かりやすかったので一緒に貼っておきます。

 
栄養チャージをして、午後も安城の寺社を巡りました。
そちらは後編にてまとめようと思います。

次回をお楽しみに。
 

>>続き

2021-05-02 激風!ツインアーチ138

今回は宣言通りゆる~く花の写真を載っけるだけの回にします。
花の名前を忘れかけたり等かなりポンコツです。
 

《目次》

 

いざ出陣

友人さんのお車にてやってきました「138タワーパーク」!
愛知県一宮市にあります。
ツインアーチ138は「いちのみや」の名前にちなみ138mの高さ。

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曇天にもほどがある。たまに雨降ってた。
この日 風強くてめちゃくちゃ寒かったです。
 

ツインアーチ138に昇る!

そう言えばツインアーチ、今年になってリニューアル工事してましたよね。
チケットの形式や券売機の位置が変わっていました。
改札にチケットのQRコードをかざすと入場できるタイプになってた。

まあ前がどんなんだったかあまり覚えてないんですが…

ゆいレールとか飛行機乗る時みたいでちょっとわくわくしました。
あと、券売機で電子マネー使えるようになってて便利。

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高所恐怖症の友人さん、
「せっかくなので」と頑張って一緒に昇ってくれました。

ちなみに「階段で昇る」というイベントもやってたみたいですが寒すぎて断念。
エレベーターで昇りました。
 

昇った

リニューアル後の展望台は国産木材を用いた空間になってました。 
写真がなくてすみません(´・ω・`)

↑ こちらにリニューアルの詳細が載っています
 

タワーの解説

リニューアル前に撮った案内なんですが
分かりやすいので載せさせて頂きます。

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なお、セントルイスの「ゲート・ウェイ・アーチ」と
ツインアーチ138」は 姉妹タワー!初耳。
施設紹介 - 138タワーパーク | 国営木曽三川公園*1
 

展望階からの風景 

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「↓」が小牧山

小牧山の左手前にある巨大なマンション?がどこなのかずっと気になってるんですが、
違う場所にある同じような色のマンションが
たまたま一直線上に並んでて巨大に見えるだけなのかもしれない。

なお、暴風すぎて展望階自体がずっと「ゆら~っ」と揺れてて震えました。
高所恐怖症の友人は柱にくっついたまま離れられないぐらいだった。
(初登頂だったのに怖がらせて申し訳ない気持ちに…)
 

花を見る

地上に降りて公園内の花を愛でることにした。

ネモフィラ

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ポピー

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リナリア (ヒメキンギョソウ)

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アグロステンマ (ムギセンノウ/ムギナデシコ)

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アグロステンマさん、かわいい花なのに
どうしてこうも覚えにくい名前をしてるんでしょうか。
どこで区切るんだろう、アグロスなテンマなんだろうか?

《ちょっと調べました》
ギリシャ語でアグロ(野原)、ステンマ(王冠)という意味らしい。
 

公園を後にし、パスタ・デ・ココでお昼ご飯食べて帰りました。
一宮と言えばココイチですもんね。本社があるよ。
 

本日のマンホール

マンホールのコーナーが結構好評で嬉しい。
今回は一宮市のマンホールです。

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中央:市章。真清田神社の神宝「五鈴鏡」がモチーフ
周り:キキョウ(市の花)

こちらのデザインは1991年に市制70周年を記念して製作されたもの。

一宮 市の花 市の木について

昭和46年(1971)
市の木が「クロガネモチ」に決定

昭和49年(1974)
市の花が「キキョウ」に決定

平成17年(2005)
一宮市尾西市木曽川町が合併し「一宮市」となる

平成18年(2006)
市の花「キキョウ」、市の木「ハナミズキ」に決定

合併後、市民投票で新たに市のシンボルを決め直したそう。
市の花はキキョウが再度選ばれています。

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 ↑ 一宮市尾西歴史民俗資料館にて 2020年7月

キキョウは星形の花がかわいいので
七夕まつりで有名な一宮によく似合うと思います。

キキョウを市区町村の花にしている所は
県内だと他に守山区だけな気がするので珍しさの点でも良いですよね。
 

それでは次回の更新をお楽しみに。

*1:「モニュメント」の項目より

2021-04-30 日本最古の眼科は超硬派?反魂塚と明眼院を訪ねる②[完]

↓ 前回

今回の目的地は
海部郡大治町(あまぐんおおはるちょう)にある「明眼院」です。

明眼院(みょうげんいん)は日本最古の眼科治療院です!
一体どんな所なんでしょうか。

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《目次》

 

大治町役場

あま市と旧甚目寺町のマンホールで楽しんだ地点から
徒歩20分ほどで大治町役場に到着。

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大治町役場 大治町公民館(右奥)→

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大治町の概略

明治22年10月1日に12か村(現在の大字)が合併して、大治村が誕生。
それ以降一度の合併も行われず
昭和50年4月1日に町制を施行して今日に至る。
大治町HPより〕

案内板にある地区(大字)を数えると確かに12あります。
明治時代の村の区分が今もなお受け継がれる町、それが大治である。

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大治町役場や明眼院は「馬島(まじま)」にあります。

馬島の地名について

「馬島」、今となってはマイナーな地名ですが
お隣あま市甚目寺観音 南大門の前にある
道標(安政三年/1856年)にも名前が刻まれています。

 ↓「左 さ屋まじまみち」

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あま市内の案内板より

※間島=馬島

昔は「馬島ね!あの立派な眼科のお寺があるところ!」と
結構 有名な地名だったんじゃないでしょうか。
 

明眼院所有 宝篋印塔

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奥の建物は大治町役場

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石造宝篋印塔(せきぞうほうきょういんとう)は、
中近世において全国各地で信仰の塔や墓石としてさかんにつくられた石塔である。

名前の由来にもなっている、宝篋印陀羅尼経(ほうきょういんだらにきょう)を納めるための塔として鎌倉時代中期に成立した。
この経典は、写経・読経し、塔に納めて供養することで功徳が得られることを説く。
ただし中世の石造宝篋印塔に経を納めた例は限られており、用途に限らず、一定の特徴を持つ形を指して「宝篋印塔」と呼ぶ。

名古屋市博物館HPより引用 - 石造宝篋印塔|名古屋市博物館

南北朝時代のものと推測される石塔だそうです。

「へ~」と思いながら撮りましたが、周りに墓石がたくさんありますね。。
町役場のすぐ隣に物々しい史跡がある町、大治。
 

馬島社

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右の建物は明眼院の多宝塔(後ろ姿)

明眼院の西側にある神社です。

階段を上った先にあるお社の石柱に「白山社」とあり、
尾張名所図会「馬島明眼院」の一部にも描かれています。

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尾張名所図会 前編 7巻より

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なお、尾張名所図会の「馬島明眼院」のイラスト、
4ページにもわたって記載されています。
当時めちゃくちゃ広かったんですね。
 

明眼院 (みょうげんいん) - 海部郡大治町

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日本最古の眼科治療院として、全国にその名をはせていました。

千年以上前に創建され、室町時代に清眼法師が眼科治療を開始し、
次々と患者を救い、その評判は遠くまで響き渡りました。

画家の円山応挙も治療に訪れたとされ、
お礼に描いたと言われる襖絵がある明眼院書院は現在、
東京国立博物館に移築されています。

2009 町勢要覧|大治町ホームページ P5-6より引用〕

仁王像

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かっこいいー!! 

道が開けた途端にババンとあるので「来てよかった!」と思うインパクト。
平安から鎌倉期の作品と推測されるものだそうです。

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とても立派でかっこいいんですが、少し傷みが気になりました。
上に屋根は付いていますが心配になってしまいます。
大治町は小さな町なので管理が大変なのだろうとは思うのですが…

境内の様子

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右の通路を進んだ奥にある白い建物が本堂。
本堂は鉄筋コンクリートです。

昭和52年(1977)12月に以前の本堂は解体され
現在の本堂が再建されたそう。

理由は下記の通り。

本堂は、幸いにして濃尾震災には倒壊を免れたが、
年を経過するとともに破損がめだち、
特に伊勢湾台風以後、雨もりがひどく、
瓦の一部も落下して危険な状態となっていた (略)
大治町史 P595 より〕

多宝塔

国の登録有形文化財平成26年(2014)認定。
大治町HP および 愛知の公式観光ガイドAichiNowより〕

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尾張名所図会 前編 7巻より

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建立期日は不詳であるが、室町時代の建築と推定されている。

慶安二年(一六四九)、院主円慶法印の時代に修覆されたが、
濃尾震災のときに大破したので、以後、一階のみに修築された。

その完全の姿は、『尾張名所図会』に描かれているように、以前は二層であった

大治町史 P594 より引用〕

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多宝塔の右手前にある表札

この表札、多宝塔の解説かと思いきや
多宝塔内に安置されている大日如来坐像(通常非公開)の解説でした。
いつか拝観したい。

お庭の紫蘭(シラン)

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かわいい。

境内には様々な花が植わっていて、
四季折々違った表情が楽しめるようです。

ところで、実家の紫蘭もかわいかったので載せていいですか?

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GWぐらいの時期になると至る所にさりげなく咲いていますよね。

なお、七宝焼の制作工程では紫蘭から採れる成分で作ったのりを使用するそう。
かわいいだけじゃないところがまた良い。

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あま市七宝焼アートヴィレッジにて - 2015年

 

眼科っぽいものが見当たらない

見当たらないんですよコレが・・・

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「日本最古の眼科治療院」という前情報がなければ
何も知らずに帰ってしまいそうなくらいにない。

尾張名所図会でブチ抜き4ページも使って描かれていたあの寺院はいずこへ。
 

如何にして明眼院は今の姿になったのか? 

大治町史の明眼院の項目〔P566~〕を読んだので、
明眼院の栄枯盛衰をざっくり説明させて頂きます。

延暦21年(802) - 平安時代
五太山
*1安養寺という名で創始。宗派は天台宗

元弘・建武の乱 - 鎌倉末期~南北朝時代
兵火によりほとんどが灰燼に。
*2

延文2年(1357) - 南北朝時代
高徳の僧「清眼僧都(せいげんそうず)」によって本堂や坊舎が再建。
さらに清眼僧都は馬島流眼科を創始。

戦国時代・江戸時代
尾張の首長たちから特別な保護を受ける。 

寛永9年(1632) - 江戸時代
後水尾上皇第三皇女の眼病治療というファインプレーによって
「明眼院(みょうげんいん)」の院号を賜り、以後当寺の通称に。
この治療により「明眼院」の名はますます全国に知れ渡る。

明治7年(1874)
医術開業の規則により、正式の眼病治療の廃業を余儀なくされる。
医業の収入が途絶える。

以後、保存が図られたが、広大な寺院の維持が困難となり衰微。

治療法はすべて秘伝とされてきたので地元町民の方々でも
その療法がどのようであったかはほとんど知られていないようであります。

大治町史 資料編2 「発刊にあたって」より〕

 
眼科の名残を今の明眼院から見出すことは出来ませんが、
治療法が秘伝だった事の説得力に繋がっている気もします。
 

目が良くなるご利益はあるの?

わが国の医学の発達は、他の日本文化と同じく中国医学の輸入に始まり、
仏教の救済行為とともに発達していった。

わが国の古い寺院の本尊は、例えば法隆寺薬師寺興福寺など、薬師如来(医王)が多かったし、源氏物語をはじめ平安朝文学作品には祈祷による治療や呪詛のことがよく書かれている。

こうした、いわば祈祷的な医学から実証的な医学への発達過程において、
実地の医学の先がけとなった最大流派の一つが、この馬島流眼科であったのである。

大治町史 P577 より〕

「明眼院さんの水で眼を洗うと眼病が治る」といった伝承が残ったりしているが、
馬島流はそのような非科学的なものでなく、 
中国などよりの伝来の医学を吸収し、
実地の体験により手術・服薬・灸・食事生活上の療法など
当時としてはあらゆる医療法を駆使してその治療に当ったので
明治以前ではわが国最高の眼病治療の流派となったものでありました。

大治町史 資料編2 「発刊にあたって」より〕

お寺って、非科学的とも言える仏の教えを広める施設だと思うんですが
そのお寺が実証的な医学にこだわる事で栄えた、
そして医業から撤退した今も
「うちのお寺の水、目に良いですよ」とかそういう
非科学的なセールスをしていないところが味わい深い。

歴史あるお寺なので、
お参りすると目に関するご利益がありますよ!と言われれば

それはそれで説得力ありますし人気出る気もするんですけどね。

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観光客を呼び込むためにはなりふり構っていられないこの時代に、
クールすぎて不器用さすら感じるお寺である。

明眼院の良さは一度訪問しただけじゃ分からないものがあるかもしれません。
 

バスで名駅に向かう

明眼院の南へ少し歩くと「大治役場前」のバス停があるので
そこからバスに乗り大治町を後にしました。

たったの220円(ちょっとうろ覚え)で名駅に行けちゃうんですよ。
バスに乗って間もなく庄内川を渡り名古屋市入りを果たしました。

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手前:大治町の赤しそ畑。右の橋を渡るとすぐ名古屋市

大治町って、名古屋市編入されるかどうかで
一時期沸いていた覚えがあるんですが

いつ名古屋市になってもおかしくないくらい近いわ・・・

バスの中から大治町の赤しそ畑を眺めしみじみ感じました。

おまけ:赤しそについて

赤しそは大治町の特産品です。

紫蘇(しそ)の名前の由来は、食中毒で死に瀕している少年に
紫蘇の葉をせんじて飲ませたところ命が蘇ったので、
人を蘇らす紫の葉から紫蘇という名前がついたといわれています。

愛知県大治町の特産野菜を知ろう|大治町HP より〕

人を蘇らせると言えば前編のあま市の「反魂香」もありましたが、
ここにも《非科学的なものと現実味のあるもの》の対比を見つけて楽しい。
 

続・本日のマンホール

今回のメイン海部郡大治町のマンホールです。 

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真ん中のマーク、町HPによれば
「イメージアップマーク」だそうです

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イメージアップマークのいわれ

大治町を流れる庄内川、新川、福田川大治町のイニシャル「O」。
オーと感じられるようにOを二つ重ねて「発信と交流」をイメージしたもの。
全体の形は、未来に向かって「大きく飛翔する大治町民の姿」を表現している。

大治町HPより〕

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© OpenStreetMap contributors

おお…確かにそんな感じに3本の川が流れています。

「シルエットクイズで大治町が出た時に正解できる自信ないな…」
と悩んでたんですが、今回で覚えられそうです!
 

今回、前編 後編ともにマニアックな内容でしたが、
「花の写真撮りました~」というゆるい回も設ける予定なので
今後ともお付き合い頂けたらと思います。

お読みいただきありがとうございました。
 

*1:ときに太山

*2:と、縁起に記述がありますが、
縁起というものは信仰の必要上かなり“盛る”ため
史実性には乏しい。

2021-04-30 消えた名所を追え!反魂塚と明眼院を訪ねる①

あま市のフジ回で「続編がある」と申し上げましたが、今回がそれです。
前の記事未読でも大丈夫ですが、その時のも読んで頂けると嬉しいです!

↓ 前のやつ

 
《目次》

 

続編のはじめに

尾張名所図会(1844年刊)に載っている、
萱津神社周辺を代表する名物のキーワードが3つあります。

  1. 阿波手森 (あわでのもり)
  2. 反魂塚 (はんごんつか)*1
  3. 藪香物 (やぶにこうのもの)

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尾張名所図会 前編 7巻より (一部抜粋)

1と3は先回の記事にて少し触れています。

阿波手森:
萱津神社の鎮座する森のこと。日本武尊の説話が名の由来。

藪香物:
萱津神社は日本で唯一漬物の神を祀る。日本の漬物発祥地という説あり。

日本武尊(やまとたけるのみこと)が御東征の道すがら当社にお立ち寄りの際に、村人がこの漬物を献上して長途の旅情をお慰めするとともに、霊験あらたかなこと等をお話したところ、尊は非常に感慨深げに「藪ニ神物(やぶにこうのもの)」と仰られたと伝えられます。〔萱津神社HPより引用〕

つまり、お新香(おしんこ)とかの「香」は
日本武尊が萱津で言った言葉から来ているという事ですね。結構すごい。
 

ところで、2の「反魂塚」は前回ノータッチでしたね。
今回調べてみました。
 

法界門橋(再々)

まずは須ケ口駅から法界門橋へ向かいます。前と一緒の流れです。

「法界門橋」の名の由来は「方違い(ほうたがい)」から来ている説があると以前ご紹介しました。
その説と関係がありそうなカーブと坂道がこちら。

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法界門橋直前の道路 (清須市側)

写真だと分かりづらいですが、
道は途中でまたくねくね曲がってから橋に繋がります。
 

【先回の記事の補足】

現在、あま市側の道路は橋からまっすぐ続いている感じになっていますが、
古地図を確認したところ昔はあま市側(甚目寺側)も曲り道になっていたようです。

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今回も、橋を渡ってから南東の萱津神社方面へ向かいます。
 

反魂塚って何?

ざっくり説明

死者に逢えるというお香「反魂香」を焚いて、
父親が 我が子(故人)に一目だけ逢う事が出来たという伝説が
ここ萱津の里に残っている。

反魂塚とは、その亡くなった子を弔うお墓の事。
かつてその塚が、阿波手森の東にある堤防の下にあったという事が尾張名所図会から分かる。

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法界門堰の看板より

反魂香(はんごんかう)塚
阿波手の森の東なる堤の下にあり

尾張名所図会 前編 7巻 [七ノ十] より〕

 

さらにちょっとだけ詳しく

その伝説も大きく分けて2パターンある。*2

①是廣(父)と光麿(子/7歳) ←七ツ寺縁起に記載
②橋本中将(父)と藤姫(子/16歳) ←正法寺縁起に記載

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どちらの説も、

子が旅の途中で萱津の里にて亡くなる
→それを後に知った父が悲しみのあまり寺の和尚にお願いして反魂香を焚いてもらう
→一時的に魂を取り戻した我が子とほんのひと時の再会をする

といった流れが共通している。

また、どちらの説もほぼ同時期なのが興味深い。
①は天応元年(781年)の出来事。
②は藤姫の他界が宝亀十一年(780年)、父と娘の再会が天応元年(781年)。
 

①の説は名古屋大須にある
「七寺(ななつでら/正式名称: 稲園山正覚院長福寺)」の縁起による。
お香を焚いたのは正覚寺(後の正覚院長福寺)の智光和尚。
寺の所在地は稲沢→清須→名古屋と移されているが、稲沢の前にここ萱津にあったのではないかという説がある。

②の説はあま市萱津神社の近隣にある「正法寺(しょうぼうじ)」の縁起による。
お香を焚いたのは寺の開祖である東岩和尚。

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尾張名所図会 前編 7巻より

反魂塚のいま

現在、反魂塚のあったであろう周辺は
あま市上萱津反魂香」という地名になっています。 

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あま市上萱津反魂香 周辺

草が生い茂っていて当時の事は想像しにくいですね。

本町大字上萱津地内五条川堤防をはさんで、外側に阿波手の森萱津神社川の側に小さな雑木林があり、木立の中に小高い塚と、その塚の上に一基の石碑が立っている。その塚が反魂塚である。 〔甚目寺町史 P101 より〕

塚の面積は約四九五m²。維新後は官有地となったが現在は正法寺に払下げられ、萱津神社の外苑に包含されている。 〔甚目寺町史 P105 より〕

甚目寺町史の発行は昭和50年(1975)。
その当時は塚があったんですね。

2000年9月に起きた東海豪雨と、その後の護岸工事により
反魂塚のあった場所は今の姿になったようです。

ここにも水害の名残が垣間見えて切ない気持ちに…
 

曹洞宗 正法禅寺 - あま市

川岸の塚の上に建っていた「反魂塚碑」は今どこに?
伝承と縁の深い「正法寺」に手がかりがないかと思いお邪魔しました。

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正法禅寺境内の墓地を恐る恐る進むと、
一番奥の高~い場所に移設されているのを発見。

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正法寺住職 勝川石雲師の発起で建てられたという〔甚目寺町史より〕

境内の海抜が低く、碑は上を走る道路と同じ高さにあります。
あと、実はすぐ左側に無関係と思しきお墓があるので撮るのに苦労しました。

高い場所にあるので近付いて眺めることは出来ませんが、
今後もなるべく水害の影響を受けないように、という願いが込められているのかも…

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反魂塚碑

親おもひ深かりし子の魂を
いまの世人の上に返さむ

正五位岡部譲 *3

壹千百五拾稔記念

説話内で反魂香を焚いたのが天応元年(781年)のため、
基準を781年とすれば「壹千百五拾稔(1150年)記念」から

781+1150=1931年 (昭和6年)

となり、その頃に建てられた碑と推測できます。

それにしても、付近に案内板などは見当たらず、
あま市HPで「反魂塚」で検索してもヒット件数ゼロ、
碑の文字も難読でした。*4

反魂香、今の人々からしても「お?」となるようなインパクトのある説話だと思います。

反魂塚はなくなってしまいましたが、忘れ去られて欲しくないので
今後何か対策が取られるといいなと感じました。
 

本日のマンホール

あま市と旧甚目寺町のマンホールが一緒に撮れるスポットを発見しました。

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あま市ハナミズキとゆり。市の木と市の花。
甚目寺町甚目寺観音(南大門メイン)

テイストがかなり違っていてどちらもいいですねえ。
 

県道79号(あま愛西線)沿いの坂巻東交差点付近にあります。

道路を拡張する気配を感じたので、
ここで先輩後輩のマンホールが一緒に見れるのも今だけかもしれません。
 

大治町進出を目論む

あま市の隣に海部郡大治町(あまぐんおおはるちょう)という町があります。

こちらには日本最古の眼科治療院であったお寺があるので
この機に歩いて行ってきました。

という訳で次回に続きます。

今回もお読み頂きありがとうございました。
 

↓ 5/19 続き書きました

*1:づか かもしれません

*2:尾張名所図会を参考にしています

*3:岡部譲(おかべゆずる)氏: 賀茂真淵の後裔。嘉永二年(1849)一月生、昭和十二年(1937)四月没

*4:この碑の文章は他のブログ様の翻刻を参考にさせて頂き、くずし字データベース検索で確認しながら読みました。自力では一生読めなかったと思います…