#23画録

愛知県 旅の記録

2021-04-30 反魂塚と明眼院を訪ねる① あま市/大治町

あま市のフジ回で「続編がある」と申し上げましたが、今回がそれです。
前の記事未読でも大丈夫ですが、その時のも読んで頂けると嬉しいです!

↓ 前のやつ

 
《目次》

 

続編のはじめに

尾張名所図会(1844年刊)に載っている、
萱津神社周辺を代表する名物のキーワードが3つあります。

  1. 阿波手森 (あわでのもり)
  2. 反魂塚 (はんごんつか)*1
  3. 藪香物 (やぶにこうのもの)

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尾張名所図会 前編 7巻より (一部抜粋)

1と3は先回の記事にて少し触れています。

阿波手森:
萱津神社の鎮座する森のこと。日本武尊の説話が名の由来。

藪香物:
萱津神社は日本で唯一漬物の神を祀る。日本の漬物発祥地という説あり。

日本武尊(やまとたけるのみこと)が御東征の道すがら当社にお立ち寄りの際に、村人がこの漬物を献上して長途の旅情をお慰めするとともに、霊験あらたかなこと等をお話したところ、尊は非常に感慨深げに「藪ニ神物(やぶにこうのもの)」と仰られたと伝えられます。〔萱津神社HPより引用〕

つまり、お新香(おしんこ)とかの「香」は
日本武尊が萱津で言った言葉から来ているという事ですね。結構すごい。
 

ところで、2の「反魂塚」は前回ノータッチでしたね。
今回調べてみました。
 

法界門橋(再々)

まずは須ケ口駅から法界門橋へ向かいます。前と一緒の流れです。

「法界門橋」の名の由来は「方違い(ほうたがい)」から来ている説があると以前ご紹介しました。
その説と関係がありそうなカーブと坂道がこちら。

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法界門橋直前の道路 (清須市側)

写真だと分かりづらいですが、
道は途中でまたくねくね曲がってから橋に繋がります。
 

【先回の記事の補足】

現在、あま市側の道路は橋からまっすぐ続いている感じになっていますが、
古地図を確認したところ昔はあま市側(甚目寺側)も曲り道になっていたようです。

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今回も、橋を渡ってから南東の萱津神社方面へ向かいます。
 

反魂塚って何?

《ざっくり説明》

死者に逢えるというお香「反魂香」を焚いて、
父親が 我が子(故人)に一目だけ逢う事が出来たという伝説が
ここ萱津の里に残っている。

反魂塚とは、その亡くなった子を弔うお墓の事。
かつてその塚が、阿波手森の東にある堤防の下にあったという事が尾張名所図会から分かる。

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法界門堰の看板より

反魂香(はんごんかう)塚
阿波手の森の東なる堤の下にあり

尾張名所図会 前編 7巻 [七ノ十] より〕

 

《さらにちょっとだけ詳しく》*2

その伝説も大きく分けて2パターンある。

①是廣(父)と光麿(子/7歳) ←七ツ寺縁起に記載
②橋本中将(父)と藤姫(子/16歳) ←正法寺縁起に記載

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どちらの説も、

子が旅の途中で萱津の里にて亡くなる
→それを後に知った父が悲しみのあまり寺の和尚にお願いして反魂香を焚いてもらう
→一時的に魂を取り戻した我が子とほんのひと時の再会をする

といった流れが共通している。

また、どちらの説もほぼ同時期なのが興味深い。
①は天応元年(781年)の出来事。
②は藤姫の他界が宝亀十一年(780年)、父と娘の再会が天応元年(781年)。
 

①の説は名古屋大須にある
「七寺(ななつでら/正式名称: 稲園山正覚院長福寺)」の縁起による。
お香を焚いたのは正覚寺(後の正覚院長福寺)の智光和尚。
寺の所在地は稲沢→清須→名古屋と移されているが、稲沢の前にここ萱津にあったのではないかという説がある。

②の説はあま市萱津神社の近隣にある「正法寺(しょうぼうじ)」の縁起による。
お香を焚いたのは寺の開祖である東岩和尚。

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尾張名所図会 前編 7巻より

現在、反魂塚のあったであろう周辺は
あま市上萱津反魂香」という地名になっています。 

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あま市上萱津反魂香 周辺

草が生い茂っていて当時の事は想像しにくいですね。

本町大字上萱津地内五条川堤防をはさんで、外側に阿波手の森萱津神社川の側に小さな雑木林があり、木立の中に小高い塚と、その塚の上に一基の石碑が立っている。その塚が反魂塚である。 〔甚目寺町史 P101 より〕

塚の面積は約四九五m²。維新後は官有地となったが現在は正法寺に払下げられ、萱津神社の外苑に包含されている。 〔甚目寺町史 P105 より〕

甚目寺町史の発行は昭和50年(1975)。
その当時は塚があったんですね。

2000年9月に起きた東海豪雨と、その後の護岸工事により
反魂塚のあった場所は今の姿になったようです。

ここにも水害の名残が垣間見えて切ない気持ちに…
 

曹洞宗 正法禅寺 - あま市

川岸の塚の上に建っていた「反魂塚碑」は今どこに?
伝承と縁の深い「正法寺」に手がかりがないかと思いお邪魔しました。

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正法禅寺境内の墓地を恐る恐る進むと、
一番奥の高~い場所に移設されているのを発見。

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正法寺住職 勝川石雲師の発起で建てられたという〔甚目寺町史より〕

境内の海抜が低く、碑は上を走る道路と同じ高さにあります。
あと、実はすぐ左側に無関係と思しきお墓があるので撮るのに苦労しました。

高い場所にあるので近付いて眺めることは出来ませんが、
今後もなるべく水害の影響を受けないように、という願いが込められているのかも…

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反魂塚碑

親おもひ深かりし子の魂を
いまの世人の上に返さむ

正五位岡部譲 *3

壹千百五拾稔記念

説話内で反魂香を焚いたのが天応元年(781年)のため、
基準を781年とすれば「壹千百五拾稔(1150年)記念」から

781+1150=1931年 (昭和6年)

となり、その頃に建てられた碑と推測できます。

それにしても、付近に案内板などは見当たらず、
あま市HPで「反魂塚」で検索してもヒット件数ゼロ、
碑の文字も難読でした。*4

反魂香、今の人々からしても「お?」となるようなインパクトのある説話だと思います。

反魂塚はなくなってしまいましたが、忘れ去られて欲しくないので
今後何か対策が取られるといいなと感じました。
 

本日のマンホール

あま市と旧甚目寺町のマンホールが一緒に撮れるスポットを発見した。

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あま市ハナミズキとゆり。市の木と市の花。
甚目寺町甚目寺観音(南大門メイン)

テイストがかなり違っていてどちらもいいですねえ。
 

県道79号(あま愛西線)沿いの坂巻東交差点付近にあります。

道路を拡張する気配を感じたので、
ここで先輩後輩のマンホールが一緒に見れるのも今だけかもしれません。
 

大治町進出を目論む

あま市の隣に海部郡大治町(あまぐんおおはるちょう)という町があります。

こちらには日本最古の眼科治療院であったお寺があるので
この機に歩いて行ってきました。

という訳で次回に続きます。

今回もお読み頂きありがとうございました。
 

*1:づか かもしれません

*2:尾張名所図会を参考にしています

*3:岡部譲(おかべゆずる)氏: 賀茂真淵の後裔。嘉永二年(1849)一月生、昭和十二年(1937)四月没

*4:この碑の文章は他のブログ様の翻刻を参考にさせて頂き、くずし字データベース検索で確認しながら読みました。自力では一生読めなかったと思います…

2021-04-27 津島市天王川公園の藤を見る

江南の藤を見たら、
津島の藤も見たくなっちゃうものじゃないですか。

本年怒涛の藤ラッシュシリーズ、この記事で結びです。
 

《目次》

 

あまり参考にならない津島市の概要

津島市(つしまし) は愛知県西部に位置する
"海部地区(あまちく)" を代表する市です。

先日から弊ブログでやけに登場している あま市 もこの海部地区の一員です。
津島は言うなればこの海部地区のボスです(個人の意見です)

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ユネスコ無形文化遺産 尾張津島天王祭

↑ のような歴史ある水辺のお祭りもあります。

友人様と夜中に津島神社へ初詣に行ったり、
ユネスコ~に登録される前の天王祭でまったりしたりと、
津島は個人的にも思い出深い地です。

今回はあくまで藤メインですが、
津島神社や天王祭についても後ほど少し触れさせて頂きます。
 

名鉄津島線/尾西線 津島駅

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2013年撮影

現在も大枠は変わってません。レトロ。

左手前の「津島神社」の看板に「当駅より徒歩10分」と書かれていますが
現在は「徒歩17分」になっています。
(あと看板自体ももうちょっとオシャレになっていました。)

今回計ってみたら確かに17分は妥当な数字でした。
20分くらいはかかります。
 

津島神社 - 津島市

540年、欽明(きんめい)天皇元年の鎮座と伝えられ、長い歴史を誇る。
全国に3000以上点在する津島神社の総本社でもある。

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2013年撮影

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楼門 2013年撮影

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天王祭(宵祭)の楼門 2013年撮影

(↑) 楼門:豊臣秀吉の寄進と伝わる。国の重要文化財

津島市HPより一部引用:津島神社 津島市
 

織田信長も観た尾張津島天王祭

戦国時代の津島は「尾張の金銀はすべて津島を経由する」と言われ、
尾張最大の商業都市でした。

勝幡城を拠点とする織田弾正忠家は津島の経済力を背景に勢力を伸張し、
信秀の頃から主家をしのぐようになりました。

そして、織田信長尾張国を統一し、全国制覇をめざしました。

津島市観光交流センターHPより: 尾張津島天王祭-天王祭と織田信長

津島市、現在はレトロな雰囲気の町ですが、
ハチャメチャに栄えるヤベェ都市だったという過去をお持ちです。

織田信長が戦乱の世で大活躍したのは
もはや津島のおかげと言っても過言ではなさそうです。

なお、勝幡城(しょばたじょう)は愛西市稲沢市の境目辺りにあった城です。
織田信長勝幡城生まれという説が有力です。

津島神社の社紋と織田家の家紋は同じ「木瓜」ですが、
織田家津島神社から貰ったという説もあるようです。

上の楼門の写真(夜の方)に社紋が写っていますのでよかったら見てみて下さい。
 

天王川公園 - 津島市

やってきました天王川公園。

津島神社のすぐ近くですが、藤棚は公園の南の方にあります。
天王祭で祭りの船が出る池の横を進んでいきます。

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落ちたらどうなるか分からない池があります

天王"川"公園と言うだけあり、元々この池は川だったそうです。

今では想像も出来ませんが、天明5年(1785)以前、
津島を南北に天王川という川が流れていました。

天王川公園はその河川敷跡を公園にしたものです。

〔これでわかる海部の歴史 P254より引用〕

 

!?

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何か出来てた。

ミスト出てるよ!
しかもこの周辺、人工芝が敷かれててすごく綺麗になってました。

調べたところ、昨年2020年から完成していたらしい。
噴水の稼働開始自体は、昨年の天王祭宵祭の開催予定日だった7/25から
夏~秋ごろ稼働しているみたいですよ。

藤棚の北側にあります。
 

津島と藤の関係 

天王川公園の藤棚は、
津島市が昭和49年(1974) 4月 市の花に「藤」を制定した事に伴い、
かつて「藤浪の里」といわれた津島の藤の名所を蘇らせるため
昭和53年(1978) より整備されたものです。

津嶋里

古名を藤浪ノ里といふよし諸書に見えたり
今は津島村といふ

尾西第一の大邑にして縦横の町並五十餘街商家農工軒を並べ
萬物一として足ざる事なく (略)

尾張名所図会 前編 (1844年刊) 7巻 [七ノ五十一] より〕*1

津島はかつて「藤浪の里」と呼ばれていた事がここからも分かります。

じゃあそれが載っている「諸書」って何だろう?と
気になりましたが追い切れませんでした(´・ω・`)

追々調べていきたいと思います。

それでは、藤浪の里と呼ばれていた名残を今に伝える
藤を見ていきましょう。
 

天王川公園の藤を見る

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津島の藤、数年前と比べて
美しさに更に磨きがかかってきたような気がします。

2018年頃から行っているという大改修の成果かもしれません。
過密気味だった藤の樹の間隔にゆとりを持たせ、
藤同士で競合しないよう整備し直しているらしい。

江南の藤も以前同じような改修を行ったと聞きますので、
(参照:2021-04-26 藤とツツジ(江南市/一宮市) - #23画録)
藤の世話の大変さをしみじみと感じました。
 

本日のマンホール

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津島市のマンホールです!

天王祭宵祭のまきわら船と 藤が描かれています。

渋くておしゃれですよね…
藤の描き方に優雅さを感じて個人的にとても好きです。
 

記事を書いている間に藤の季節も終わりさみしく思いますが、
これから他の花も見頃を迎えていきますので
それを楽しみに5月を過ごしていきたいと思います。

次回の更新をお楽しみに。

*1:くずし字初心者です。
間違っている部分がありましたらご指摘下さい。

2021-04-26 藤とツツジ(江南市/一宮市)

🍜

今回は、江南市名物の藤の花がメインです。

先日、下萱津のフジを見て
(参照:2021-04-24 あま市下萱津の藤を見る① - #23画録)、
「藤、もっと見たい…」という欲に負けました。

 

《目次》

 

曼陀羅寺公園 - 江南市

江南市(こうなんし)は、愛知県北部に位置する市です。 

曼陀羅寺公園について》

日輪山曼陀羅寺(にちりんざん まんだらじ)は、
後醍醐天皇の勅願(天皇の命令)により創建された寺院です。

昭和41年(1966年)より境内にて「藤まつり」が開催されてきました。

昭和45年(1970年)、江南市

曼陀羅寺境内の一部を借り受ける
・藤の管理運営を曼陀羅寺及び同奉賛会から引き継ぐ

上記により、市営「曼陀羅寺公園」として整備することになりました。
その後公園は敷地を広げ、
尾張地方でも一二を争うほどの藤の名所となり今日に至ります。

なお、ふじは江南市の「市の花」に制定されています。

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曼陀羅寺公園内にて

(その他参考:日輪山曼陀羅寺HP 藤の花 - 日輪山曼陀羅寺 )
 

昨年の様子

2020年は、緊急事態宣言の影響により
曼陀羅寺公園の藤棚の下は立入禁止となっていました。

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2020年の曼陀羅寺公園

残念ながら昨年に続いて今年も「こうなん藤まつり」は中止でしたが、
花が見られるだけでも本当に有り難いです。
近くで藤の花を眺められる喜びを噛み締めながら見てきました!
  

さっそくですが藤です

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15:30頃に到着したため夕日の影響を受けた写真が多め。

どの藤も綺麗ですが、白い藤(野田白藤)がほぼ見頃でした!
県内の他の名所と比べると、曼陀羅寺公園は白藤の藤棚も広くて、
たっぷり楽しめるのが特長な気がします。

あと、花がブドウみたいな子は「八重黒竜」という名前です。
私の身内の間では「ブドウ」と呼ばれている。おいしそう。
  

曼陀羅寺公園 案内図》

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たくさんの種類の藤が楽しめます

藤の復活

曼陀羅寺公園の藤は一時期、危機に瀕していたことがありました。

1990年代後半から藤の発育が悪化し、観光客も減っていました。

2004年、江南市公園担当の方が、
栃木県の「あしかがフラワーパーク(藤で超有名ですよね)」に直接お願いに行き、
その熱意によって藤再生のためにご協力頂けたそうです。

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2017年の写真。お気に入りなので載せました

今となっては調子の悪かった時期があったとは思えないほど
綺麗な花を咲かせています。

藤が不調だった頃の公園しか知らない方も、
今後ぜひ江南の素晴らしい一面を再認識して頂けるといいなと感じました。

それにしても、あしかがフラワーパークの藤の写真を見たら、
何というか…
格が違いますね……
ぜひ江南には足利先生のレベルを目指して頑張って欲しいです。
 

ツツジによる延長戦だよ!

藤を楽しんだあと、
江南のお隣・一宮市ツツジの綺麗な公園があると聞き
そちらにも訪問しました。

一宮市の概要》

江南と違って(※すみません) 一宮って結構知名度高いと思うので
「説明要るか…?」と思いましたが一応します。

今年2021年9月1日に市制施行100周年を迎える、尾張地方を代表する市です。
同4月1日には「中核市」にグレードアップしました。

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一宮市大和町ヒロンチ」さんのモーニング

お値打ちな金額でおいしいコーヒーと軽食が楽しめる「モーニング」が有名です。

また、一宮市を中心とする地域で生産される「尾州毛織」は
世界三大毛織の一つと言われるほどの高いクオリティを誇ります。

ちょっと前ですが、相棒観てたら高級スーツ店のシーンで
尾州のウールを使用しております」みたいなセリフが出てきて
嬉しくなっちゃいました。
 

浅野公園 - 一宮市

戦国時代の武将・浅野長勝や浅野長政の屋敷跡地と伝わる公園です。
秀吉の妻である ねね の養父が浅野長勝、義弟が浅野長政です。

公園駐車場の看板にもツツジのイラストが描かれており、ツツジ推しです。

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浅野公園のある浅野地区は「尾張浅野氏」発祥の地で、
忠臣蔵で有名な播州赤穂浅野内匠頭はその支流とのこと。

なお、今回は車で行きましたが近くにバス停もあります。
 

ツツジを見る

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かわいい。

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この公園、お堀があるんですよ

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まりも三兄弟と名付けた

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京都 高台寺より寄贈のホンキリシマツツジ

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ヒトツバタゴ(奥の白い花の木) と夕暮れ

京都 高台寺
ねね(北政所)ゆかりの禅寺です。
秀吉の菩提を弔うため北政所が建立しました。

高台寺より寄贈された
 ● ホンキリシマツツジ
 ● シロヤブツバキ
が公園内に植えられています。

ツツジについてはオーラが何だか他のツツジたちと違います。
椿の時期にもぜひ訪れたい。
 

その他見どころ

《太閤千代シダレザクラ

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この2本のシダレザクラは、京都醍醐寺において
豊臣秀吉と寧々が花見の宴で愛でたと伝えられる桜の母樹から、
バイオテクノロジーによって育成されたクローン桜です。

寧々にゆかりのある浅野公園の開園100周年を記念して、
醍醐寺の寛仁深い計らいにより、桜苗を授かることができ、
市民に親しまれる公園となるように願って植樹されました。

浅野公園は平成29年に開園100周年を迎えたそうです。(一宮市HPより)
歴史ある公園なんですね。 
 

《 馬蹄石(ばていせき)》

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山内一豊が自宅岩倉城へ急用で帰る途中
浅野家に立寄った時の名馬の蹄跡と伝えられている

(妻の内助の功により駿馬を買った話は有名である)


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近くで見ると、↑ の形に凹んでいます。

しかし、こんな硬そうな石が踏まれただけで
ひづめの形に凹むのを想像するとちょっと面白い。

その辺りも含めて歴史へのロマンを感じました。


《浅野公園 見所マップ》

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見所がありすぎる

広くて手入れの行き届いた素敵な公園でした。

強風であまりの寒さに園内全てを巡ることができなかったので
またの機会に訪れたいと思いました!

ツツジのみならず、時期によってさまざまな花が楽しめる公園のようです。
一宮市やっぱすごいなと思った。尾張No.1の称号をあげよう。

なお、帰りにラーメン食べて帰宅しました。
ラーメンの有名店「江南」ではありませんでしたが……
 

本日のマンホール

江南市のマンホールです!

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藤の柄がいい感じですね。

愛知県江南市を今回で初めて知ったという方がもしいらっしゃれば、
藤推しの市ということをぜひ覚えて下さいね!
 

それでは次回の更新をお楽しみに。

2021-04-24 あま市下萱津の藤を見る②[完]

🗻🗻

↓ 前回

萱津神社池の水ぜんぶ抜くに先日出てたらしいですね。
ばっちり見逃してしまいました。悲しみの舞。

《目次》

 

キャッチに引っかかりに行く

萱津神社にお参りも出来た事だし
「下萱津のフジに向かって突き進むぞ~」と気合いを入れた直後、
かわいいツツジの集団を発見。

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かわいすぎる。

「無量壽苑墓地」という墓地の敷地と道路を隔てる生垣のようです。
あまりにも綺麗だったため、足を止めて写真をたくさん撮り幸せな心地に…
フジのこと、忘れてません。
 

あの時お世話になった桜の木です

3月末に「五条川下流に桜は植わっているのか?」という検証を行った際、
最初に発見した記念すべき桜の木の近くを通ったので撮りました。
(参照 : 2021-03-27 清須あまで桜を見る② - #23画録)

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ひと月たたずしてすっかり新緑の季節になりましたね。

フジだー!

「お世話になった桜の木」の辺りから20分ほど南へ歩き、
ついにフジの咲く会場に到着しました。

県道59号から小径に入ったところにあります。

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© OpenStreetMap contributors

この小径、スタッフさんがいてくれたので分かりましたが
普段なら見落としてしまいそうなひっそりとした場所です。

フジの公開日も今年は4/24のみでしたので、
普段入れない場所に入れるのってちょっとうきうきしちゃいますね。

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やったーフジだ!とてもいい香りです。

愛知県天然記念物「下萱津フジ」

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 下萱津を代表する文化財であるこの「フジ」は、
樹齢が推定約350年と伝わっています。
大小9本におよぶ枝が縦横に走り、
東西・南北10mにわたり花を咲かせています。

 昭和29年(1954年)に県の天然記念物に指定され、
現在はあま市が管理しています。
毎年多くの人々がフジの見学に下萱津を訪れており、
当地域の代表的な春の風物詩でもあります。

 東海豪雨等の影響で樹勢が衰え公開は中断されていましたが、
敷地の再整備を進め、2014年より下萱津地区の協力を得て公開を再開しました。

しかしながら、2018年8月の台風でフジを支える支柱が倒壊したため、
公開を見合わせ復旧につとめていましたが、
今年度その修復も敷地の半分に達し、
部分的ではありますが3年ぶりに公開することになりました。

↑ こちらの写真、実はフェンスの向こう側すぐ近くに「新川」が流れています。
川辺のため、豪雨や台風でたびたびダメージを受けてしまう立地のようです。

地元の方々が一生懸命フジを整備して下さっているのが伝わってきました。
今後はずっと自然災害の被害が出ない事を祈るばかりです。

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立入禁止ゾーンに向かって撮影したもの。

奥の方や倒壊してしまった藤棚の隙間をよく見ると
フジの花が低い位置で咲いているのが分かりました。
元気になった姿をまた見に来たいです。

(あま市公式HPによる、下萱津のフジの詳細はこちら。)
 

暑い中頑張って撮った写真たち

暑さのあまりピンボケ写真を量産してしまいました。
それでもよろしければぜひ見て下さい。

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なお、入り口付近で「どこから来たのか」というアンケートを
スタッフさんが取っていらっしゃいました。
あま市大治町など、近隣住民の方が多くお越しになっていたようです。

知る人ぞ知る、神秘的なフジスポットだと感じました!

帰路

スタート地点と同じ須ケ口駅まで歩いて帰宅。

実は、萱津神社周辺には他にも不思議な説話が残っています。
亡くなった方の魂をよみがえらせるという…

こちらは後日調査致しましたので、続編をお待ちください。

☆+*゜お疲れさまでした ☆+*゜

2021-04-24 あま市下萱津の藤を見る①

🗻

"「下萱津のフジ」24日公開 あまで3年ぶり"
という中日新聞の記事を読み、行ってきました。

《目次》

 

そもそも下萱津ってどこ?

愛知県あま市の地区です。
あま市とは、2010年3月に

・海部郡美和町(あまぐんみわちょう)
・海部郡七宝町( 〃  しっぽうちょう)
・海部郡甚目寺町( 〃 じもくじちょう)

が合併して誕生した新しい市です。
「萱津(かやづ/かやつ)」は旧甚目寺町の一部です。

鎌倉時代、萱津は鎌倉街道の宿場町として栄えていました。
歴史と由緒ある地区のため、様々な説話が今日まで残っています。

今回は、樹齢約350年とされる下萱津のフジの花を求めて散策しました。

スタート : 名鉄名古屋本線 須ケ口駅 - 清須市

人が多くて写真撮れませんでした!
そもそも駅名標や駅構内って、撮るのにちょっと勇気要りますよね…

皆さんご存じの須ケ口駅です。津島線はお乗り換え。

萱津地区を代表する名所・萱津神社(かやつじんじゃ)へは
甚目寺駅」より「須ケ口駅」の方がちょっと近いです。

法界門橋 再び…

須ケ口駅から西南西の方角へ歩いていくと
「法界門橋(ほうかいもんはし)」があります。

以前も出てきましたね!!
(参照 : 2021-03-27 清須あまで桜を見る③[完] - #23画録 )

今回歩いた場所、↑で散策した場所と若干ニアミスしています。

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ところで、この橋 名前がかっこいいですよね。
名の由来を調べました。

法界門橋

西春日井郡新川町境の五条川に架る。

(略)

橋名は往古甚目寺の法界門が建っていた故というのが通説である。

しかしながら一説は、道路と方向を違えているので「方違い(ほうたがい)橋」と称したのが、いつの間にか法界橋となり、更に門までつけて法界門橋となったという。

今は無い南門と甚目寺南大門までの距離と比較して、東門から橋の位置までの距離は三倍以上ある点、その間に萱津正法寺四世徳禅重呑和尚が隠居所として造った薬師堂の在る点などと考え合せ、或は後説の方が正しいのではなかろうか。

甚目寺町史 P10より引用〕

この話、面白くないですか!?
興味深すぎてしばらく頭から離れなくなりました。

前者の説は聞いた事ありましたが
「門があったにしては甚目寺観音までちょっと遠くないか?」
と思っていたんですよね。

あま市側の道路は、橋を渡った先も道がほぼまっすぐ続いている
(そして甚目寺観音の東門に達する)ので
「方違い」というのはしっくり来ませんが、

清須市側の道路は橋に繋がるために
すごい勢いでぐにゃりと曲がっているんですよ!!

結構坂になってるし。

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© OpenStreetMap contributors

「方違い(ほうたがい)」とか「方変え(ほうかえ)」とかが
近くにある甚目寺観音に引っ張られて「法界」になり、
更に「ほうかいはし」のままでは「崩壊橋」みたいだし
「門」付けてかっこよくしたのかな、という想像が膨らみました。
(※あくまで想像です。)

楽しすぎてフジへの道のりが遠のいていきますね。
先に進みましょう。

法界門堰 跡地

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道路脇に看板を発見。
この付近に、つい最近まで堰が存在していたという解説が載っていました。
なお、看板周辺の歩道が狭めなので見に行く際は車に注意が必要です。

堰のあった辺りより上流に向かって写したのがこちら。

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水道管のパイプ?左奥が法界門橋。

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関係ないけどよく見たら真ん中に鳥がとまっておる。

そう言えば、春日(はるひ)の五条川沿いを歩いた時にも立派な堰を見かけました。
法界門堰もこんな感じだったのでしょうか。

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3/27 清須市春日にて

阿波手森(あわでのもり)の碑

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萱津神社の北西にあります。

「阿波手の杜(あわでのもり)」は萱津神社の鎮座する森を指すため
こちらの碑は案内板のような役割でしょうか。

碑の周囲は民家が建ち並んでいます。

当社が鎮座する鎮守の森は、昔より「阿波手の杜(あわでのもり)」と呼ばれ歌枕として多くの詩歌が読まれた所であります。

名称の由緒は、古伝によると日本武尊(やまとたけるのみこと)が伊吹山で戦傷され当地にたどり着いたが、傷は重く再び立つ事ができなくなるのではと直感され、久米の八腹(くめのやばら:食事の世話をする者)を妻である宮簀姫(みやずひめ)のものに遣わし後事を託された。

姫は話を聞き、取るものもとりあえず当地に向かったが日本武尊は伊勢に向かった後だった。姫は人目も憚らず悲嘆され、その悲しみの姿から、だれ云うとなく、この森を「不遇(あわで)の森」という様になったという。

萱津神社HPより引用  漬物祖神萱津神社 - 由緒

 

萱津神社(かやつじんじゃ) - あま市

先ほどからフライングでちょいちょい話題が出ていましたが
ここに来て登場です。

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さわやかで風情がありますね。
鳥居をくぐり階段を下りるとひんやり涼しい境内があります。

こちらには国内唯一の「漬物の神」が祀られています。
(あま市観光協会HPより)

境内でバシバシ写真を撮っていいものなのか悩みましたので
ほんの一部のみ境内を紹介させて頂きます。

見どころ盛り沢山のお社ですのでお散歩の際にはぜひどうぞ。

狛犬と神社由緒》

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《香の物殿》

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毎年8月21日に「香乃物祭(漬物祭)」が行われます。
当日の「漬込神事」には一般参拝者も参加出来ます!
(※コロナ禍の現在は要確認。)
香の物殿の甕の中に、↓から選んだ野菜とお塩を運び入れてお参りします。

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2015年 香乃物祭にて

祭りの2年後、出来上がったお漬物は熱田神宮へ奉納されるそうです。
珍しい祭りだと思いますので、ご興味のある方は熱中症対策を万全にした上でぜひ。
楽しいです。

《連理の榊(れんりのさかき) 奉安殿》

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萱津神社のご神木である「連理の榊」は、枯れてしまってからも
↑の写真の建物(奉安殿)にて大切にお祀りされています。

写真の奉安殿の中を拡大してよく見ると、
樹の幹のシルエットがぎりぎり確認出来るかもしれません…
現地ではバッチリ拝観できますよ。

なお、どのような由緒があるのか自分なりにまとめました。
ざっくりです。

~阿波手の杜のあらすじ~

近江出張から帰ってきた日本武尊に逢うため、
連絡のあった森に急いで向かったものの、
間に合わず逢う事が出来なかった妻の宮簀姫。
姫は大層悲しみました。
その姿からこの森を「不遇(あわで)の森」と言うようになったそうな…

~続編があります~

尊は伊勢に向かうにあたり比女に逢うことが叶わず非常に残念がり、後の世に生れ来る者に再びこの悲しみなき様にと祈願を込め雌雄二本の榊をお手植され、後にこの二本の榊は地上二メートル程の所で連理(れんり)となりました。これが当社のご神木「連理の榊」です。

萱津神社HPより引用 漬物祖神萱津神社 - 献榊祭

つまり、愛する奥さんに逢えず寂しい思いをした日本武尊は、
後世の人々がそのような悲しい思いをしないよう願いを込め
雌雄の榊をお手植えになったという事ですね。

更にはその二本の榊が連理(別々の枝が癒着結合して一緒になる事。縁結びや夫婦円満の象徴)となったという事で更にめでたい。

歴史香るご神木、ご利益ありそうすぎますね。

《その他境内の風景》

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かやつ?かやづ?

萱津神社HPのURLの表記が「KAYATSU」でしたので
神社の読みは「かやつじんじゃ」とさせて頂きました。

あま市の住所である 上萱津、中萱津、下萱津 は
「かみかやづ」「なかかやづ」「しもかやづ」と読みます。

甚目寺町時代は、
「かみかやつ」「なかかやつ」「しもかやつ」の読みが正式なものでしたが、
あま市誕生を契機に変更されたようです。

〔郵便局HPより〕

 

本当は、当日午前十時より 萱津神社→下萱津のフジまで
現地ガイドさんと一緒に歩くという散策ツアーに参加したかったのですが
予定が合わなかったため一人で散策しました。

心底ガイドさんの詳しいお話を聞きたかった……
でも素人なりに色々楽しめましたので次回をお楽しみに。 

藤は次回で出ます。またこのパターン。

↓ 5/5 続き書きました。

2021-03-29 岩倉五条川で桜を見る

🎏

2日前にも清須市あま市で桜を見ましたが、
(※ 2021-03-27 清須あまで桜を見る(つもりが川を見ていた) ① - #23画録 )
どうしても岩倉の桜も見たかったので見てきました。

やはり岩倉の桜は最高です!!

なお、大口の桜も大好きです。
というか桜自体が最高ですよね。どの桜も甲乙付け難く最高。

桜が好きすぎて今回の記事 基本語彙力がないです。

《目次》

 

本当はあまり教えたくない推しスポット

岩倉市内の五条川沿岸には、約8kmに渡り桜並木が続いているそうです。
その8kmの中でも、個人的にお気に入りなスポットがあります!

私がここに書く事によって人気爆発しちゃうと困るのですが、
恐らく自分がそこまでの影響力を持ち合わせていないと思うので言ってしまいます。

名鉄犬山線 石仏駅」付近の五条川の桜です。バァーン

比較的人が少なく、落ち着いて桜を眺めたり写真を撮る事が出来ますし、
何より桜が最高です。急に語彙力をなくしてすみません。

とりあえず見て下さい。
とは言いましたがまずは岩倉市の情報からおさらいしてみましょう!!

いわくら情報

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名神高速の高架下にて

この付近にある名神高速の高架下には
壁一面に様々なペイントが施してあり、ちょっと度肝を抜かれます。

その中に「いわくら情報」なるものがありましたので撮ってきました。

ここで特筆すべきは、岩倉市ゆるキャラ「い~わくん」についてですね。
私は今回初めて知った情報がいくつかありました。

い~わくん
岩倉市PR大使

プロフィ~ル

たんじょうび/5月5日
性別/おとこのこ
うまれたところ/岩倉五条川
とくいなこと/岩倉市の゛い~わ゛をみつけること、
      ふぇいすぶっく
にがてなこと/およぐこと
すきなたべもの/岩倉やきそば、名古屋コーチン
性格/なんでもいっしょうけんめい。だけど天然・・・
尊敬する人/山内一豊さま
      (岩倉生まれの戦国武将)

  • たんじょうび→ 半角全角交じりな所に手作り感が出ていてGood
  • とくいなこと→ 何故か分かりませんが藤原竜也さんを彷彿させます
  • 尊敬する人→ 山内一豊公は一宮市(旧葉栗郡木曽川町)出身という説もありますが、岩倉生まれと言い切っている所に胆力を感じますね

木曽川町の黒田城跡もいずれ訪れたいと思いました。

桜!!桜見ましょう!!

お待たせしてすみません。
あとい~わくんを前座みたいに扱ってしまい申し訳なさを感じます。マジごめん。

いい写真結構撮れたので下記に載っけます。ぜひ見て下さい。

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私はこれらの写真を撮ったあと数日間、
自宅で飲みながらスマホで写真を眺めてリモート花見をしました。
リモート花見もいいものですね。
やはり桜は最高です。

前略、歩道橋の上より

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国道155号の歩道橋の上から

手前に見える桜は「八剱神社」の境内のものです。
よくよく見るとお隣小牧市の「小牧山城」が遠くに見えたので撮りました。

植物季節観測用標本

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「これは…名古屋地方気象台の設置したものか…!?」と思い調べましたが、
名古屋地方の観測用標本は、千種区日和町の気象台の敷地内にあるようですね。

こちらは岩倉市が独自に観測している標本の樹かと思われます。
(間違っていたらご一報下さい)

この表札のおかげでまたちょっと物知りになれました。

↑ 詳しくはこちらをご覧頂くとよいと思います。

ソメイヨシノとジンダイアケボノ

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日本各地で、ソメイヨシノの寿命が迫ってきているそうです。

ソメイヨシノの「苗木の配布」は2006年度から中止、
「苗木の販売」は2009年度から中止されており、*1
今後ソメイヨシノの樹が増える事はないのでしょうね。

さみしい限りですが、ソメイヨシノは特定の病気に弱い事もあり
世代交代が必要だそうです。

ソメイヨシノの次世代を担うのがこちらのジンダイアケボノちゃんとの事。
こちらの樹はまだまだ若いため細い子でしたが、今後が楽しみです。
大きく育つよう大切に見守っていきたいですね。

今日のマンホール

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岩倉市のマンホールです!
桜と岩倉名物の「のんぼり洗い」が描かれています。

のんぼり洗い:
鯉のぼりの制作過程で布に付いている糊を五条川の水で落とす作業。

◇この糊の成分は「デンプン、米ぬか、塩」だけで出来ており、
川の中で糊を包丁で削ぎ落とすと、
その糊は川にいる鯉が綺麗に食べてくれるそうです。

[2017年4月9日の岩倉探訪にて得た情報]

 「今日の」と言ってはいますが画像データ確認したら2014年のでした…
他の柄を撮れたらまたアップしたいです。

*1:日本花の会HPより。

桜の病害 | 公益財団法人日本花の会

※虫の画像が下部に有りますので苦手な方はご注意下さい

2021-03-27 清須あまで桜を見る③[完]

✿❀✿

↓ 前回

実はこの日23,000歩ぐらい歩いているんですよ。
一生まとめ終わらない気がしましたが今回で結びです。

《目次》

 

法界門橋を渡る

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あま市清須市を繋ぐ橋です。
名前がかっこいい。ほんのり香る中二感がありますね。
そろそろあま市に上陸してみたいと思って渡りました。

この橋近辺も見どころが多いので日を改めてまた遊びに行ってみたいと思います。

しかし、渡った先のあま市でしばらく迷いました。

~少々お待ち下さい~

再び桜発見 - 清須市

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手前: あま市 川の対岸: 清須市

うおー!桜並木だー!
上流に比べて川幅が広いので、我々のイメージする
五条川の桜並木」とは雰囲気が若干異なりますが、
やっと並木に出会えました。

後で調べたら、どうやら「西須ケ口公園」の桜のようです。

綺麗ですね~またもやちょっと遠めでしたが…
そろそろ桜を近くで見たい。

カラスの多いエリア

更に北上すると、川辺の歩道にカラスのフンの多いエリアがあります。
桜もあまり見当たらないので、そそくさと通過。
散策するのにあまりオススメ出来ません。

名鉄の踏切を渡る - 清須市

北上を続けると、あま市から清須市に入り、
名鉄名古屋本線の踏切が出現するので渡ります。

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すると、じわじわと桜並木が登場。清洲城に近付いてきました。

清洲城と周辺の桜

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ここに来てやっとボリューミーな桜を堪能できましたが
人がかなり多い。

1989年建立の清洲城、元々は「ふれあい郷土館」って名前だったらしい。
中日新聞に載ってました。

清洲城付近の人の多さで桜をのんびり眺める事が出来ず
このまま帰ったら未練が残りそうだったので、
桜を求めて更に五条川を北上する事にしました。

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© OpenStreetMap contributors
 
 

清須市一場付近

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道に迷った時に見つけた昔の住所表記。
「桑名町」は清洲越しによって
名古屋に移った地名だったような…と思って撮影。
現在は清須も名古屋も「桑名町」という住所表記はなくなっているようです。

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道に迷った時に見つけた碑たち。
3つ横に並んでいました。
一番左の碑は「髙松宮殿下御視察之䖏」と書いてあるように見えます。

【メモ】この近くの「清須市学校給食センター」の北隣にある、
敷地の広くて綺麗な建物たちがすごく気になったんですけど
まだ新築過ぎるのかGoogleマップにも載ってないんですよね。
近くで見たら分かったかもしれんけど脚の疲れで無理でした。

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学校給食センターの辺りから五条川沿いの道に出ました。
下流方面に向かって撮影。

桜って綺麗だね。またしても遠めだけど…

春日(はるひ)の桜を見る - 清須市

写真の雰囲気からお察し頂いている気がしますが、
だんだん夕方になってきました。

清洲城からかなり歩いてきました。
桜を近くで見させて下さい…

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桜並木だ!!(しかも近い)
ここまで来てよかった。

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はるひ夢の森公園にて

桜がいっぱいである。本当に来てよかった。
公園は綺麗で広く、人出は多いものの雰囲気は非常に良かったです。

清須市北部の春日地区は、
元・西春日井郡 春日町(にしかすがいぐん はるひちょう)です。
春日町は2009年10月1日に清須市と合併しました。

春日には豊田合成さんの本社がありますので、
合併前も財政は悪くなかったのかなと思わせる綺麗な公園でした。

桜を十分に堪能し、足の疲労度も最高潮なところ、
バス停を見に行ったら駅に向かうバスがほとんどなく…?

私のバス停鑑定スキルが低かっただけかもしれませんが、
時刻も微妙だったのでまた歩きました。

こうして23,000歩を達成したのである。

潤う桜フォルダ

足の疲れを誤魔化すために桜の写真いっぱい撮りました。

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2番目の写真は遠くに名駅のビルたちが見えて個人的に好きです。
春日からも見えるんですね。

JR東海道線 稲沢駅 - 稲沢市

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稲沢駅南の跨線橋より

春日はいいところですが、駅までちょっと遠いという事が分かった。
稲沢駅近くの ↑の跨線橋の上り坂でも、足にダメ押しの一撃を頂きました。
夕日が綺麗ですね(ぐったり)

ゴール \\\\٩( 'ω' )و ////

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© OpenStreetMap contributors


☆+*゜お疲れさまでした ☆+*゜

お読み頂きありがとうございました。
ブログ初心者ではありますが、
今後も旅の記録を細々と更新出来たらと思っております。