2021-07-11② 安城市東海道沿いの寺社を巡る
~あらすじ~
ハスのある本證寺は安城市の南端にあったが、
ランチにそうめんを食べテンションが上がってしまい
安城市の北端にある寺社に行きたくなってしまう・・・
行ってきました。
《目次》
永安寺 雲竜の松
低い位置でマツの太い幹が三方へぐわっと広がっていて、非常に迫力があります!
全景を写真に納めるのが苦労するぐらい立派なマツである。
この辺りの地域、江戸時代刈谷藩の領地だったんですねえ。
「村の庄屋・柴田助太夫氏の犠牲によって、
人々の暮らしが幕末まで助けられた」というエピソードが載っています。
助太夫氏の旧宅跡にあるのがこの永安寺です。
その助太夫氏の時代から在るマツだと思うと有り難さが更に増しますね。
無人のようでした。
お寺自体はこぢんまりとしています。
なお、本堂に向かう途中でクモの巣に引っかかったりしました。
マイナースポットなのかもしれませんが、
樹の迫力と、手入れの行き届いた枝振りは一見の価値があると思います。
明治川神社
雲竜の松のある永安寺のすぐ近くに
立派な神社があり、そちらにもお邪魔しました。
綺麗で厳かな雰囲気。
池の水の音も聞こえてくる。
水に縁の深い三柱の神を中心に、明治用水開削の功労者四人をまつっています。
〔明治川神社|安城市観光協会 より〕
こちらは「蓑笠を着けて田植えをしている姿」をイメージしたモニュメント。
言われてみればそう見えてきて少し感動。
このモニュメントから池の水が湧いています。
明治用水について
都築弥厚は、明和2年(1765)和泉村(現在の安城市和泉町)に生まれました。
当時、安城市域の多くでは、水が乏しく水田開発が困難でした。
そこで弥厚は、矢作川の上流から水を引き、ここに灌漑、開墾することを思い立ちます。
彼は石川喜平とともに水路の測量を行い、具体的な用水計画を立案します。しかし、農民や領主たちからの激しい反対にあい、計画を実現できぬまま亡くなってしまいます。
弥厚の計画は、明治時代になり、岡本兵松と伊豫田与八郎の2人が引き継ぎます。
そして、明治13年(1880)には現在の明治用水ができ、弥厚の夢がようやく実を結ぶのです。その後安城は、日本デンマークと呼ばれる豊かな農業地域へと、変貌を遂げていくことになります。
〔安城市/安城歴史の散歩道 より引用〕
その功労者を神としてお祀りしているのが明治川神社です。
前編、本證寺の周りでとてつもなく広い田園風景を見て
「さすが農業の得意な安城」と思いましたが、
それも明治用水なくして有り得なかった風景なのではないでしょうか。
明治用水や水の大切さを学べるスポットは市内に他にも多数あるので
追々訪問していきたいところです。
北城屋(きたしろや)
北城屋さんは安城を代表する和菓子専門店です!
安城みやげはここに来れば困らない充実のラインナップのお店。
駐車場からお店の方見たらこんな感じの福助さんが9人いた。
こちらの方が何だか居たたまれなくなる。
色々おみやげに買って帰りました。
こちらは安城名物のおっぱいまんじゅう「べっぴんじゃん」です。
《食レポ》
- クリーミーでもちもちのプリンのような中身が、ふわふわの皮に包まれています
- まんじゅうというより大福って感じでしょうか
- 冷蔵庫で冷やして食べるのでひんやりしてておいしい
- あんこは入っておりません
- 感触はふにふにで、手で摘んで食べると楽しい
「商品開発の過程でうっかり形状がおっぱいに似ちゃったのかな?」と思いきや、
始めから胸をテーマとしている生菓子です。
おっぱいまんじゅう べっぴんじゃん
三河地方の方言で美しい女性のことを「べっぴんじゃん」と言います。
心の美しい女性が「べっぴんじゃん」との思いから、心の上にある胸を形にしました。〔御菓子司 北城屋 HP より引用〕
「安城一番(あんことお餅入りのもなか)」も北城屋さんのメジャーどころですが、
他にもたくさん魅力的な商品が並んでいます。
安城っておいしいおみやげまで充実していて侮れませんね。
本日のマンホール
安城市のマンホールです!
「本日の」とか言ってますが例の如く撮影は2014年と2015年です。
左(←):デンパーク内で撮影。
右(→):新美南吉作「花のき村と盗人たち」の一コマ。
作中の「花のき村」は安城市花ノ木町が舞台とされています。
「花のき村の人々がみな心の善い人々」と作中にあるのも良い。
安城のマンホール、他にも柄があり
今回の旅の途中でも見かけたのですが撮影できず。
またの機会にコレクションできたらいいなと思っております。
それでは次回の更新をお楽しみに。